4日目:9.11グラウンド・ゼロ

朝8時ぐらいに置きて、朝食を食べた。ベーグルとドーナツ、オレンジジュース。ずっとこのホテルにいたら一生この組み合わせになりそう。
部屋に戻ってテレビを付けると、グラウンド・ゼロで大勢の被災者の家族が亡くなった家族の名前を読み上げて言葉を述べていた。
声が裏返って言葉になってない人も多くいた。日本人の名前もあったと思う。
それを見て、やべ。これはちょっと雰囲気が違うぞ。自分が考えてたパフォーマンスとか、なんか違うなと強く思った。

そこで急に思い立って、何枚かの色紙にsilent prayer(黙祷)とか言葉を書いて(この言葉自体もこの時にテレビで知ったくらいだったと思う)持って行くことにした。それまで本当はどんなパフォーマンスをしようと考えてたとか全く覚えてないんだけど、この時テレビで感じ取った空気感とか思ったことを即行動に移せたのは、同じニューヨークでグラウンド・ゼロから目と鼻の先のホテルに泊まっていたからこそ出来たことだと思う。

この式典自体も何時までやってるかわからんし、テレビ中継も結構早くからやってたみたいなので急いで行かなくちゃ、とバタバタし始めた瞬間カップに入れてた墨汁をカーペットに大胆にこぼした。こういうとこホンマ自分らしいわ…
とか思ってたら急に現実味が襲いかかって来て、これヤベ〜アメリカやし弁償問題とかなったらシャレならんってなって、東京八重洲ドコモショップでもらった濡れタオルで一生懸命拭いた。
でもカーペットにこぼした墨汁なんて早々落ちるもんじゃなく、むしろ広がる一方。マジやべー。石鹸を使うと意外に落ちることがわかり、何回も何回もカーペットと洗面台を往復して拭き取った。乾いたら何とか元どおりかなー?ってくらいまで。これにかなり時間を取られてしまった。

墨汁も落とせるSUPER8HOTELの石鹸。15年たった今も家に未使用であった(笑)

気を取り直してユニクロの甚兵衛(じんべえ)に着替えてグラウンド・ゼロへ出発。
甚兵衛なんて着ててもここはニューヨーク。全然目立たないし、誰からも指さされない。さすが世界のNYC。良い意味ですごいラクだった。

ん。完全に見られてるな(笑)

自撮りもそこそこに、地下鉄で移動。
グラウンド・ゼロに近くにつれ徐々に仕事人モードが高まってくる。

半切という大きさの和紙や太い筆を買い揃えたレシートも残ってた。

まだ足りてなかった自撮り。

この謎の看板を撮影した後は、多分必死だったんだろう。しばらく写真がなく一気に飛ぶねんけど、昨日と違ってグラウンド・ゼロは人が溢れてた。
思っていた黙祷ムードとは少し違って、政治的なメッセージを掲げた人とか、戦争反対を訴える人々、世界各国のメディア、ブッシュ政権がどうだの警察ともみ合いになってる人、横断幕を掲げてるデモ隊にチャリで突っ込んで紙をビリビリに破ってファッキン何とか言ってる中年の男、いやもうアメリカすぎて。その勢いで僕の広げてた荷物にもぶつかって来たし。
世界中から集まったテレビカメラ、新聞記者、ホームビデオ、アジア人と白人と黒人、中東の人たち。様々な言語が飛び交ってた。
まじで今ここで世界が動いてる、世界の中心にいると肌で感じた。

そこへ自分も混じって、何かをするという姿は想像も出来なかった。ここで自分がパフォーマンスをするとか完全な場違いだった。いやもう紙なんか広げた日にゃあ、あのチャリ野郎が僕にも突っ込んでくるでしょ(笑)、下手な文字書いたら警官に銃で打たれてまうし(笑)。そんな雰囲気だった。
うん帰ろ。悪いことは言わない。田舎へ帰ろ!

だけど、やるorやらないの迷いはなかった。
「やる」という前提でビビってドキドキして呆然としていた。

職場の女性上司の顔が浮かんだ。唯一アメリカでパフォーマンスっぽいことをしようと思っていると話していた相手。ここまで来てビビって帰ったんじゃ、あの人に合わせる顔がない。そう思った。

何をする為にここまで来たのか。そう自分に言い聞かせて覚悟を決めた。
色紙を並べて、ガムテープで新聞紙を貼り合わせていく。
その上に大きな和紙を広げて2枚重ねにした。
カップに墨汁を入れる。足がガクガク震えていた。
筆を握って墨を付けて、裸足になって和紙の上に立つ。

誰も自分のことなんか見ていないと思った。
一発目、筆を勢いよく和紙に下ろした瞬間、
その時急に時間が止まったみたいに周りの雑音が全く聞こえなくなった。

書ける!!!!!って思った。

みなぎった。これいけたって確信した。
すごい視線を感じたけど、もうそんなの関係なかった。
そこから自然と筆が進んで、ばっ!ばばっ!ばばば!!とぶっつけ本番やったのに最高の文字が書けた。
魂がのった。
silentprayer(黙祷)と書いた。今朝覚えたような言葉。ベタな言葉だったと思う。でも朝テレビで感じ取った雰囲気、もう、これしか書けなかった。
自分の持っている全ての力を出し切れた。

書道は一発で書き終える芸術で、筆を持ったが最後、一発勝負。
あのコレいけた、という感覚は、今でもはっきり覚えている。
実際どれくらいの人に見られていたのかは背中を向けていたのでわからなかったし、そんなに見られてなかったんだろうけどすっごい視線を感じてもいた。
あの時感じた視線は何だったんだろう。
ここで亡くなった人たちの視線だったんだろうか。

そこから色紙の1枚に「Please write your name」と書いた。これがいつ思い付いたアイデアなのか、その場で思いついたのかは分からない。

誰が一番初めに名前を書いてくれたかは覚えてないけど、みんな進んで名前を書いてくれた。胸にグッと来た。
おじいちゃん、おばあちゃん、黒人、白人、アジアの人。金髪のねえちゃん、可愛い子供たち。本当にみんな気持ちを込めて書いてくれてるようだった。
それを見て心底感動した。

印象的だったのが、おばさんで涙を堪えながら書いてくれた人。それを見てこっちも生半可な気持ちでやってたらダメだなと思った。胸に手を当てるジェスチャーをされたので、同じように胸に手を当てて返した。
言葉は通じないけど十分わかりあえると思った。

すぐに話しかけられることも多くなって、一緒に写真を撮ってください、と言われることもあった。

それからアメリカの20代後半くらいのおにーさんにもじっくり話をされた。僕が英語を話せないと言うと、気にすることはない的なジェスチャーをされ、日本とアメリカについて語り合った。2つの国が繋がっていることを左手と右手でグッとをジェスチャーされた。

金髪のおねーさん2人組が文字を書いた後、手が汚れたみたいで「too bad」みたいに言ってて面白かった。他にも筆の持ち手が濡れてる、みたいなジェスチャーをしてた人がいたので、筆で書くという自体はあまり好まれなかったように感じた。当たり前やけど墨汁に馴染みがないんだと思う。

2001年9月11日の夜、当時まだ高校生だった僕は、テレビの向こうの映像
を観て「すごい遠い場所で、とんでもないこと起こってるねんなぁ」と思ってた。
画面の端にはLIVEの文字。米国同時多発テロ。確か英語のテストの前日でした。その4年後、自分がその場所に立ってるなんて微塵も予想してなかった。何より
あれから戦争が4年続いているという事実。

中国の新聞社の記者に声をかけられた。何度もアイムソーリーローイングリシュと言った。とてもチャンスを逃しているように感じた。でも記事にしてくれるそうだ。

帰りの空港までのタクシーでもやっぱり言葉はわからないものの、どこか自信に満ちていて、胸を張ってアメリカンな景色を堪能していたのを覚えてる。

帰りのJFK空港でやたら雑誌買ってた。ゴシップ誌みたいなやつ(笑)

旅から帰って来て、こんしんさんから手紙やカレンダーをいただいた。全く覚えてないけど返事も書いたと思う。
こんしんさんは2006年の911にも現地に行かれたそうです。

3日目:NYC散策、自由の女神へ

AM7:30。目覚ましより早く目が覚めて、快眠ではないけどそのまま起きた。
シャワー浴びて朝食。地下1階の食堂みたいなとこで勝手に食べた。たぶん大丈夫なやつやと思う。
もう全員白人(ちょっと黒人)でめっちゃアメリカンな雰囲気漂ってた。ちょっとテンション上がる。ドーナツとベーグルみたいなやつとオレンジジュースを階段で食べた。(席いっぱいすぎて)

食べてからフロント行って今晩も泊まりたいと伝えると、昨晩とは驚くほど違って英語が通じる通じる!!意気投合してシングル200ドルの部屋に変えてもらった。(今の部屋よりちょっと安かったんだと思う)

くらいの記憶だったけど、15年後のこれ書いてる今改めて見ると、1泊目28,262円で2泊目+3泊目の合計が50,582円か。3泊で78,844円はまあまあしたな〜。
この時以降の人生で、こんな値段でホテル泊まったことないわ(笑)
それにしても明細見たら、市民税?とか1泊ごとにすげー取られてるな。。やっぱ海外旅行は日本でホテル取って行くべきやな。。

話は戻って、フロントの人が「新しい部屋に荷物を移動したらいい」って言ってくれたので、戻って316から315の部屋に荷物を移動してたら黒人(誰かとルームシェアしてるような宿泊者)に声かけられて、え何??みたいな感じになった。適当に説明したら分かってもらえた。

一通り荷物移動させたら、カードキーが反応しないことに気づいて困った。
たまたま通りがかった同い年くらいの白人にhelp meと声かけたら、やっぱりカードが反応しなかったので「ブローキンカード、フロントに行きな」みたいに言われて誘導された。ありがとう!
無事に新しいキーを手に入れて、出かける準備できたから、やっとこれからニューヨーク満喫!!!

ホテル出て、ビラ配りしてたオバちゃんにサブウェイ?って聞いたらトレイン?って返されたからイエスって言った。「そこ曲がったらすぐだよ」と教えてくれた。あれ?トレインの方が正しいのかな…?

地下鉄の駅全体は薄暗くて生あたたかい。

改札は動物園の入り口みたいになってた。切符売り場で買えるかな?と思ったけどこれが意外に簡単で、1日フリーと7日フリーパス、1回乗り切り。
支払いはクレジットカードとキャッシュが選べた。7ドルの1日フリーパスを購入。
ニューヨークの地下鉄は無茶苦茶わかりやすかった。路線が1とか2、AとかBで名前が付いてて、あとはそれのUPTOWNとDOWNTOWNだけ。マンハッタンの地図を上に行くか下に行くかだけやったと思う。いや東京とか大阪より簡単に乗れた。割とマジで。地下鉄は地下2階とか地下3階にも走ってた。

1dayフリーパスを購入!

電車の中は黒人でいっぱいやった。中では見知らぬ人同士が気さくに喋ってる場面も。ソーホーという街を目指し、ここが一番近いかなって駅で降りた。
地上に出たらニューヨークのリアルな街並みという感じ。ショップがあったり、バスケのコートがあったり、日差しは暑いのに風が冷たくて気持ちよかった。会社の上司にメールした。

ソーホー目指して、人に聞きながら歩いてるといつの間にかチャイナタウンへ!!み、みちびかれてる〜
そこはスルーして、結構歩いたら地図に載ってるようなブティックが並ぶ場所にたどり着いた。
D&G、ラルフローレン、ヴィトン、シャネル、ラコステ、FCUK。。たくさんまわった。普通に楽しかった。クレジットカードで服を買ったりした。

道ばたで絵やアクセサリーを売ってるエリアに来た。
針金で人を作ってるやつがレベル高かった。NYCを歩く人たちはみんな片手に水を持ってた。僕も水を買ってスタイリッシュに歩くことにした。そのペットボトルがすごい面白くて、日本でいう食器用洗剤の入れもんと同じクチをしてる。
はじめは抵抗あったけど、これイイ!!日本のペットボトルは開ける時と閉める時、必ず両手が必要になるけど、これは口で引っ張ったり押し込んだりできるから片手でいける。いかにもアメリカ人らしい発想やけど、僕はめちゃめちゃ気に入った。日本でもあったらいいのになぁ。。

買い物した服とかを一度ホテルに置きに帰って、それからホテル近くのマクドナルド行った。メニューがよくわからんから、とりあえずセットを頼んだ。
あ!ここはアメリカらしくスーパーサイズにせな!と思って、むしろそれが目的やったからスーパーサイズにしてくれって頼んだら「は?アメリカ来たらスーパーサイズがどこでもあると思ってんなよこのミーハー野郎」的な顔されて、日本のLサイズくらいのジュースを出された。これじゃない感。
ハンバーガーとかも全然でかくないし(笑)求めてたマクドナルドの写真が撮れんかった。

でもケチャップだけはアメリカンやった!カップ渡されて自分で好きなだけ入れるスタイル。

それからベタやけど自由の女神を拝みに行くことに。地下鉄でソウスフェリー駅まで行って、そこからなぜか皆ダッシュ!!とりあえず自分もダッシュ!フェリーに乗った。(無料!)最後の1本とかやったんかな?下調べもしてないのにすんなり乗れて良かったわ。。

フェリーからマンハッタンを眺めた。やっぱり高層ビルすごいな。

見にくいけどグラウンド・ゼロから光が2本直立してた。今では日本でもよくあるけど、当時はちょっとびっくりした。すごい力強い光。

フェリーではすごい風が気持ちよくて景色も最高やったけど、いつまでたっても自由の女神が現れない。うーむ。とか思ってたらフェリーが着いてしまった!このフェリーちゃうかったん!?てかコレなにフェリーやねん!

そう思いながらフェリーを降りる時、日本人の女の子2人に声かけられた。
あ!ソーホーで2回もすれ違った2人組や!!!ってすぐわかった。その時は喋ってないけど、お互い日本人おるなっていう意識で見るというか、海外あるあるやけど。それが1日で3回も出会ってしまったようで、声かけてくれた。

自由の女神のことを聞くと、ちょうど逆サイドで凛々しくそびえ立ってたという。マジかよ。帰りのフェリーを待っている間、色々話をした。
年は2つ下の今年ハタチの愛知の大学生らしい。ツアーで来てて、僕よりよっぽど英語が堪能だった。3人で写真を撮ってもらう時、This oneって言ってたしスゲー。(て書いてる)

帰りのフェリーでは3人最先端でNYCを眺めた。自由の女神もバッチリ見えた。
意外と小さかった。メアドとかはとくに聞かなかった。紳士やからね。。

帰りの地下鉄はグラウンド・ゼロが近かったから下見を兼ねて見に言った。
アメリカの国旗がビルに大きく飾られてた。高校3年の時にニュースで見たあの場所に今来てることが信じられなかった。

ホテルのあるロックフェラーセンター駅は21時をまわっていたからか近くの出口が閉まってた。ちょっと遠めの出口から出たけど問題なくホテルに到着。
夜タイムズスクエアに行く気マンマンやったけど、うたた寝してて気付いたらAM1:00まわってた。
コンタクト外して寝た。明日はいよいよ911グラウンド・ゼロです。

2日目:泊まるとこ決まってない

大変やった。空港はすんなり出れたけど、空はもう薄暗くて(でもアメリカンな感じした!)でもまあホテルくらい見つかるやろと適当にタクシーに乗った。
そのタクシーに乗った瞬間、頭がサーッとした。
乗ったら当たり前に運転手がアメリカ人(黒人)で。英語喋れないどころか、行くホテルも決まってない自分。じゃあホテルはどの辺で探す?ってのも決まってないし、それの聞き方もわからない。乗り込んだはいいけど、で?っていう。あれ?これ全然あかんやん!

タクシーの運転手と話が全然噛み合わないまま、なんか分からんけど、グラウンド・ゼロなら通じるやろとグラウンド・ゼロを連呼するもそれすら通じない。え、文章どころか単語ひとつ通じてへんやん!

テロがあった場所だの、なんとか説明してたら通じたらしく、グラウンド・ゼロに向かっていたら途中で「ホテルはどこに泊まるん?」って聞かれたからnot findやらcheap hotelやらを連発してたら分かってもらえたようで、安いホテルまで乗せてってくれるらしい。グラウンド・ゼロはキャンセルして。良かった、グラウンド・ゼロは適当に言っただけやったから助かった(笑)

右も左もわからない、ニューヨークのどの辺にいるかも全くわからん安そうなホテルの前に付けられて、20ドル札を3枚渡した。(実際は55ドル)
もう暗くて、ほんま何でも良かったからその安そうなホテル入ったけど予約でいっぱいらしく、明日も明後日も埋まっているらしい。まじかよ!ホテルなんかどこでも空きがあるとか根拠なく思ってた!

それからホテルを歩いて探すことに。しばらく歩いてたらやたら上海みたいな風景に似てきて(前年に仕事で上海行ったことあった)、結構治安も悪そうな感じになってきて、ここは田舎なんかなー?とか思ってたら中国語の看板ばっかりなことに気付く。これチャイナタウン的な場所なんやな!
魚とか売ってて臭いがするし、アメリカまで来て中華街は別にええわーと思って急いで脱出。と思ったけどかなり歩いても脱出できなかった。。

それからちょっとビルっぽい建物に戻って来て、ホテルを探すけど全くない!
ちょっと焦り出す。まず荷物多すぎ。日本人全然おらんし。。
途中、白人のちょいポチャギャルにナンパされる!!ユアテレフォンナンバー!?!?的なこと言われた。あの感じは馬鹿にされたんじゃなかったと思う。そう思ってる。
さらっとイケてる返事をしたかったけど、まじでそれどころじゃなかったのでヘラヘラして終わるアジア人。
そうこうしてたらホテルを発見!!めっちゃスタイリッシュなホテル。高そうやったけどマジでウロウロしてるの危ねえって時間帯になって来たので一目散に入った。
そしたら黒人のめっちゃ美人のスーツ着た女性がフロントにいた。(あれは映画とか含めても人生で見た黒人女性で一番美しかった)Stay OK?とか適当に聞いたらOK!やっほーやっと見つかったわって思ったら1泊400ドルって言われる。え無理。1泊でそんな使ったらお金なくなってしまう。
てかこの時、いまいち400ドルがいくらなのか分かってなかったので(というか大体分かってるけど実際札束出して、これ何枚?とやらないと自信がなかった)、100ドル札出して「これが4枚っすか!?」って聞いたら、お姉さんちょっとキョロキョロして「イエス。早くしまいなさい」て言われた。しびれた。

断って出る時のお姉さんのスマイルがたまらなかった。スタイリッシュやった。
それからしばらくまた歩くもホテルは一向に現れない。
途中、日本の声がして思い切って聞いてみる。男4人、女1人のグループ。女の人が1軒知ってるって言われて地図も書いてくれたけど、歩いて行くのは無理でタクシーで5ドルくらいらしい。お礼を言って別れたが、歩いて他を探した。(←なんで?汗)

マクドナルドやドミノピザとかなり都会な様子になってきて、夜のアメ村みたいな雰囲気やし本気でそろそろヤバいと思ってきたところ日本人の女性2人を発見。
話しかけると無茶苦茶良い人たちで、ホテル10軒くらい電話してくれた。。2人共、今でいうスマホみたいなんでいっぱい探してくれた。。
でも週末なのがネックで、どこもソールドアウトらしく、30分くらい時間を使わせてしまったので「もういいです、ありがとう」と言ったが、心配とのことで友達にも聞いたりしてくれた。。

そのポシェットあかんで(防犯的に)みたいなツッコミもされつつ、終始楽しく接してくれた。関西人やったんかな?あの2人はなぜニューヨークにいて、どういう人生を送ってるんやろ。
ヤフーとか検索してくれて8hotelに電話してもらったら、ツインの200ドルの部屋が空いてたので予約してもらった!パスポートナンバーやら住所を伝えてもらい、もうほんとにお世話になりまくって、タクシーで行きって言われて一緒に写真撮って別れた。お金だけじゃなくて命拾いしたマジで。。

おねーさん達がいっぱい調べてメモしてくれた(たぶん)。

タクシーで7ドルくらいで着いたから、10ドル渡して「Thank you good night.」(安堵感からの余裕のセリフ)
フロントでは多少ややこしかったけどチェックインできた。3dayと伝えたけど、それはまた明日予約してねと言われて出来なかった。

1泊目は252ドルだった。

もう部屋に入った時はヘトヘトで、ぐったりしてた。でも晩御飯だけは食べなと思って、吉野家やハンバーガー屋を見つけたけど、どこももう閉まってて(PM11:00)小さいスーパーみたいなとこでジュースとNEWSPEPER(なんで?)とグラムで計って買うバイキングで持ち帰りした。(15ドル)

ホテルで食べたけど、レタス苦いし、オレンジ甘くないし、全体的にあんま美味しくなかった。。食べたら寝てて、AM1:30くらいにアカンわって思ってコンタクト外して寝た。ぐったりしてた。。テンションもぐったり。

1日目:東京から成田で初日終わった

それはもう人生の賭け。ニューヨークに行くとかそんなんもうどうでもよくて。とにかく頭の中は神戸から東京へ行くまでの夜行バスで、隣の席に可愛い女の子が来るかどうか。問題はそこやった。
夜行バスという密室空間の中で偶然座り合わせた男女が、夜景を見ながら朝までヘブンズドライブ。悪くない。この際ニューヨーク飛べなくてもいい。
いたって通常運転で朝の東京駅に放り出されましたけど。

JR神戸駅から東京八重洲までの夜行バス。たか。

東京へ来たのは人生3回目だけど、そう言えば東京駅の外観はまだ見たことなかったなーてことで、取りあえず見学してみる。時間もあるし。
が、その外観は僕が思い描いていたものとは程遠く、言わばふつーなビルっぽい造りに「東京駅」って書いてあるだけだった。あれ?新しくなっちゃったのかなー。記憶の中ではなんとなく赤レンガ造りだったりしたんだけどなー。さらにくまなく歩いていると、何やら何個か東京駅があるらしく?思い描いてた東京駅を見つけて記念撮影した。

成田空港に行くリムジンバスはお昼ごろなので、取りあえず時間をつぶそうかと
東京駅構内の軽食屋に入った。中は結構な座席数があるんだけど、人がいっぱい
で埋まっていた。みんなスーツでこれから仕事な模様。仕事前の朝の一服なのか
、コーヒーと煙草の匂いが充満していた。
そんな中、パンパンに詰まったグレゴリーのリュックサック背負って、右手には破けても良いように2重にしたナイロン袋、中には太い筆、ぶんちん、和紙、墨。左手に抱えてるのは畳2丈分の大きさの和紙。足元は雪駄(せった)。ポケットにデジカメはいつでもすぐ取りだせるように。
大荷物抱えた、いかにも観光客の兵庫県民も、席に座る。

みんなトースト食べながらうんざりしている感じの横で、僕は朝からロコモコを
がっついていた。朝弱いマンなんだけど夜行バスやったからテンションが変なんです。しかもこれからニューヨーク。

食べてテーブルで30分だけ寝て、それからドコモショップ八重洲店でケータイの充電をして、リムジンバスのチケット買って、駅の地下街で(出発前に思い付いて良かった)ガムテープやペン、日記用メモ帳、ウエストポーチ(いかにも海外旅行なやつ)を購入、あとATMでお金をおろしたりした。
お店の人はとくに愛想が悪いこともなく、道を聞いたら丁寧に教えてくれるし、その辺はカルチャーショックはなかった。そうこうしていたら、リムジンバス出発の時間になって乗った。成田へ向かう中、外国人いっぱいの車内はもうすでに英語が飛び交っていた。つかもうすでに英語主流。お、お前らまだここは日本やぞ、日本語喋れ!!いきがって英字新聞とか読みやがってー!!とか思いながら、非日常的な光景にワクワクもしてたりする。

これは帰りのチケットやけど東京駅から成田空港までのリムジンバス3,000円。たか。

リムジンバスでは僕が最年少だった。なんとなく嬉しい。バスから一瞬ディズニーランドが見えた。夢の国も現実と隣り合わせだなー。てもう千葉ってことか。成田空港が千葉にあるってことも正直、今回の旅まで知らなかった。

生まれて初めての成田空港着。そういえばこの時以降、15年以上行ってないや。
この時は関西国際空港からニューヨークまでの直行便がなかった。今はあるんじゃないかな。

関空から乗り継ぎで行くか、夜行バスで東京まで行って直通で行くかで迷ってた形跡。

第2ターミナルでケータイ(海外用と思われる)を借りて、第1ターミナルに戻って搭乗手続き。確認もしないでケータイ予約するからこんなややこしいことになった。らしい。

とりあえず9万円分の米ドルゲットしたらしい。

今回は成田空港←→JFK空港往復で90,690円やったみたい!
旅行保険が5,090円。
当時海外のチケット取り方わからんかったから、そこらへんのJTBで手配してもらった。

謙遜抜きで全く喋れない英語力、出発2日前に取った航空チケット、ホテルも予約しないで両手に太い筆と丸めた大きな和紙。「あの場所に行って、自分にできることを何かひとつでもやりたい」とノースウエストの飛行機に乗り込んだ。

たぶん人生初の機内食を食べて、寝た。

21歳夏 NY独演/2005

今年はアメリカで何かやろう、そこから始まった2005年の夏。
ホテルの予約さえ取らず、航空券だけ握りしめ単独渡米。
9.11、世界の中心で真っ白な紙を広げた。
人種様々、世界中の人たちから集めた500以上のメッセージ。

1日目:東京から成田で初日終わった
2日目:泊まるとこ決まってない
3日目:NYC散策、自由の女神へ
4日目:9.11グラウンド・ゼロ