4日目:9.11グラウンド・ゼロ

朝8時ぐらいに置きて、朝食を食べた。ベーグルとドーナツ、オレンジジュース。ずっとこのホテルにいたら一生この組み合わせになりそう。
部屋に戻ってテレビを付けると、グラウンド・ゼロで大勢の被災者の家族が亡くなった家族の名前を読み上げて言葉を述べていた。
声が裏返って言葉になってない人も多くいた。日本人の名前もあったと思う。
それを見て、やべ。これはちょっと雰囲気が違うぞ。自分が考えてたパフォーマンスとか、なんか違うなと強く思った。

そこで急に思い立って、何枚かの色紙にsilent prayer(黙祷)とか言葉を書いて(この言葉自体もこの時にテレビで知ったくらいだったと思う)持って行くことにした。それまで本当はどんなパフォーマンスをしようと考えてたとか全く覚えてないんだけど、この時テレビで感じ取った空気感とか思ったことを即行動に移せたのは、同じニューヨークでグラウンド・ゼロから目と鼻の先のホテルに泊まっていたからこそ出来たことだと思う。

この式典自体も何時までやってるかわからんし、テレビ中継も結構早くからやってたみたいなので急いで行かなくちゃ、とバタバタし始めた瞬間カップに入れてた墨汁をカーペットに大胆にこぼした。こういうとこホンマ自分らしいわ…
とか思ってたら急に現実味が襲いかかって来て、これヤベ〜アメリカやし弁償問題とかなったらシャレならんってなって、東京八重洲ドコモショップでもらった濡れタオルで一生懸命拭いた。
でもカーペットにこぼした墨汁なんて早々落ちるもんじゃなく、むしろ広がる一方。マジやべー。石鹸を使うと意外に落ちることがわかり、何回も何回もカーペットと洗面台を往復して拭き取った。乾いたら何とか元どおりかなー?ってくらいまで。これにかなり時間を取られてしまった。

墨汁も落とせるSUPER8HOTELの石鹸。15年たった今も家に未使用であった(笑)

気を取り直してユニクロの甚兵衛(じんべえ)に着替えてグラウンド・ゼロへ出発。
甚兵衛なんて着ててもここはニューヨーク。全然目立たないし、誰からも指さされない。さすが世界のNYC。良い意味ですごいラクだった。

ん。完全に見られてるな(笑)

自撮りもそこそこに、地下鉄で移動。
グラウンド・ゼロに近くにつれ徐々に仕事人モードが高まってくる。

半切という大きさの和紙や太い筆を買い揃えたレシートも残ってた。

まだ足りてなかった自撮り。

この謎の看板を撮影した後は、多分必死だったんだろう。しばらく写真がなく一気に飛ぶねんけど、昨日と違ってグラウンド・ゼロは人が溢れてた。
思っていた黙祷ムードとは少し違って、政治的なメッセージを掲げた人とか、戦争反対を訴える人々、世界各国のメディア、ブッシュ政権がどうだの警察ともみ合いになってる人、横断幕を掲げてるデモ隊にチャリで突っ込んで紙をビリビリに破ってファッキン何とか言ってる中年の男、いやもうアメリカすぎて。その勢いで僕の広げてた荷物にもぶつかって来たし。
世界中から集まったテレビカメラ、新聞記者、ホームビデオ、アジア人と白人と黒人、中東の人たち。様々な言語が飛び交ってた。
まじで今ここで世界が動いてる、世界の中心にいると肌で感じた。

そこへ自分も混じって、何かをするという姿は想像も出来なかった。ここで自分がパフォーマンスをするとか完全な場違いだった。いやもう紙なんか広げた日にゃあ、あのチャリ野郎が僕にも突っ込んでくるでしょ(笑)、下手な文字書いたら警官に銃で打たれてまうし(笑)。そんな雰囲気だった。
うん帰ろ。悪いことは言わない。田舎へ帰ろ!

だけど、やるorやらないの迷いはなかった。
「やる」という前提でビビってドキドキして呆然としていた。

職場の女性上司の顔が浮かんだ。唯一アメリカでパフォーマンスっぽいことをしようと思っていると話していた相手。ここまで来てビビって帰ったんじゃ、あの人に合わせる顔がない。そう思った。

何をする為にここまで来たのか。そう自分に言い聞かせて覚悟を決めた。
色紙を並べて、ガムテープで新聞紙を貼り合わせていく。
その上に大きな和紙を広げて2枚重ねにした。
カップに墨汁を入れる。足がガクガク震えていた。
筆を握って墨を付けて、裸足になって和紙の上に立つ。

誰も自分のことなんか見ていないと思った。
一発目、筆を勢いよく和紙に下ろした瞬間、
その時急に時間が止まったみたいに周りの雑音が全く聞こえなくなった。

書ける!!!!!って思った。

みなぎった。これいけたって確信した。
すごい視線を感じたけど、もうそんなの関係なかった。
そこから自然と筆が進んで、ばっ!ばばっ!ばばば!!とぶっつけ本番やったのに最高の文字が書けた。
魂がのった。
silentprayer(黙祷)と書いた。今朝覚えたような言葉。ベタな言葉だったと思う。でも朝テレビで感じ取った雰囲気、もう、これしか書けなかった。
自分の持っている全ての力を出し切れた。

書道は一発で書き終える芸術で、筆を持ったが最後、一発勝負。
あのコレいけた、という感覚は、今でもはっきり覚えている。
実際どれくらいの人に見られていたのかは背中を向けていたのでわからなかったし、そんなに見られてなかったんだろうけどすっごい視線を感じてもいた。
あの時感じた視線は何だったんだろう。
ここで亡くなった人たちの視線だったんだろうか。

そこから色紙の1枚に「Please write your name」と書いた。これがいつ思い付いたアイデアなのか、その場で思いついたのかは分からない。

誰が一番初めに名前を書いてくれたかは覚えてないけど、みんな進んで名前を書いてくれた。胸にグッと来た。
おじいちゃん、おばあちゃん、黒人、白人、アジアの人。金髪のねえちゃん、可愛い子供たち。本当にみんな気持ちを込めて書いてくれてるようだった。
それを見て心底感動した。

印象的だったのが、おばさんで涙を堪えながら書いてくれた人。それを見てこっちも生半可な気持ちでやってたらダメだなと思った。胸に手を当てるジェスチャーをされたので、同じように胸に手を当てて返した。
言葉は通じないけど十分わかりあえると思った。

すぐに話しかけられることも多くなって、一緒に写真を撮ってください、と言われることもあった。

それからアメリカの20代後半くらいのおにーさんにもじっくり話をされた。僕が英語を話せないと言うと、気にすることはない的なジェスチャーをされ、日本とアメリカについて語り合った。2つの国が繋がっていることを左手と右手でグッとをジェスチャーされた。

金髪のおねーさん2人組が文字を書いた後、手が汚れたみたいで「too bad」みたいに言ってて面白かった。他にも筆の持ち手が濡れてる、みたいなジェスチャーをしてた人がいたので、筆で書くという自体はあまり好まれなかったように感じた。当たり前やけど墨汁に馴染みがないんだと思う。

2001年9月11日の夜、当時まだ高校生だった僕は、テレビの向こうの映像
を観て「すごい遠い場所で、とんでもないこと起こってるねんなぁ」と思ってた。
画面の端にはLIVEの文字。米国同時多発テロ。確か英語のテストの前日でした。その4年後、自分がその場所に立ってるなんて微塵も予想してなかった。何より
あれから戦争が4年続いているという事実。

中国の新聞社の記者に声をかけられた。何度もアイムソーリーローイングリシュと言った。とてもチャンスを逃しているように感じた。でも記事にしてくれるそうだ。

帰りの空港までのタクシーでもやっぱり言葉はわからないものの、どこか自信に満ちていて、胸を張ってアメリカンな景色を堪能していたのを覚えてる。

帰りのJFK空港でやたら雑誌買ってた。ゴシップ誌みたいなやつ(笑)

旅から帰って来て、こんしんさんから手紙やカレンダーをいただいた。全く覚えてないけど返事も書いたと思う。
こんしんさんは2006年の911にも現地に行かれたそうです。

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